肺ガン進行の速い小細胞肺ガンが跡形もなく消滅!
(男性・67歳・うなぎ料理店店主)
1980年代以降、日本人の死因の第1位を占め続けているガン。検査の結果、肺ガンを宣告された男性が、ガンをつくり出した自らの心と真摯に向き合い、ガンを克服し、本物の幸福をつかむまでの道のりをご紹介します。
※写真はイメージです。
ガン、確定
それは、二〇〇四年二月のことでした。
「残念ですが、肺ガンと確定されました」
(えっ!?)。医師の言葉に、私は目の前が真っ暗になりました。
かかりつけの町医者で、肺に五センチの影が見つかってから約三カ月。大学病院とがんセンターで内視鏡検査や血液検査を繰り返してきましたが、なかなかガンと確定されなかったため、私は、(何か他の病気じゃないか)と期待し始めていたのです。
しかし、検査入院をして、最終的に下された診断は――。
「あなたの場合、肺ガンのなかでも『小細胞ガン』という、進行が速く、転移しやすい種類のガンです。すぐにでも治療を始めないと……」
医師の説明が続きます。しかし、ショック状態の私にはまるで他人事のようで、まったく頭に入ってきませんでした。
死ぬかもしれない
私は、長年、幸福の科学の信者として、心の教えを知識として学んできましたが、いざ、自分の身に異変が起きると、動揺を抑えられませんでした。
(僕は、死ぬかもしれないんだ……)
幸福の科学の教え、「仏法真理」では、「人間は永遠の生命を持っており、肉体が死んでも魂は生き続ける」と説かれています。
しかし、死後の世界を信じてはいても、自分が「死」に直面してみると、やり残したことへの後悔の念が湧き上がります。それに、家内を独り遺していくことを思うと、(まだ死ねない!)という思いが強くこみ上げてきたのです。
ガンをつくった原因は?
診断の翌日から、治療が始まりました。
自宅から一時間ほどの名古屋市内のがんセンターで、平日は抗ガン剤と放射線の治療を受け、土日は家に帰る生活です。
医師と相談し、まずは四カ月間、四クールの治療プログラムで様子を見ることになりました。
幸い、抗ガン剤の副作用がきつくなかったので、一日の大半を、持参した幸福の科学の書籍を読んで過ごすことができました。
「結局、心のなかにつくった葛藤が、病念として現れてくるのです。病気になっている人で、心に葛藤のない人は、おそらくいないと思います」(書籍『光ある時を生きよ』より)
(心のなかの葛藤か……。これは、心の修行を一からやり直さないかんな……)
不平不満をぶつけて
心のなかの葛藤といえば、すぐに思い当たることがありました。
家内との関係です。自営業で、一日中顔を合わせている生活が数十年。自ずと粗も見えてくるものです。
私は、家内の声が小さく、注文の伝言が聞き取りにくいことに、いつもイライラしていました。一つが気に障り始めると、他のこともすべて悪く見えてきます。
お客様にお茶のおかわりを出していない。鍋の取っ手を焦がす。そうしたことでも、つい声を荒げてしまう自分がいました。
「何? 聞こえん、聞こえん!」
「もっと大きな声でしゃべれんのか!」
「焦げとるやないか、たわけが!」
特にガンが見つかったころは、長年の不満が積もり積もってか、家内にきつく当たることが多くなっていました。悪いとは知りつつも、なかなか直せない自分がいたのです。
イライラが募ってたばこの量も増え、多い時には一日に四〇本吸うこともありました。
ガンになって当然
病床で独り、日頃の自分をふり返ってみると、「他人に厳しく、自分に甘い自分」というものを、まざまざと見せつけられました。
私は、六人きょうだいの末っ子で、幼いころから両親と四人の姉に甘やかされて育ちました。そのせいか、性格は頑固でわがまま、しかも、思ったことを何でも口に出す癖があったのです。
(なんて自己中心的だったんだろう……)
家内をはじめ、家族や友人、従業員など、これまで自分の言葉で傷つけてしまった一人ひとりに、心のなかで詫びました。
(仏の教えを学んできたつもりだったけど、何にも身についてやしない。たばこも好き放題吸って、仏からいただいた肉体を粗末にしていた。これじゃあ、ガンになっても当然だ……)。仏に対しても、「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになりました。
妻の本当の姿
自分の人生を悔いあらため、心の修行を深めたいと思った私は、入院生活中も土日を利用して、幸福の科学の支部や精舎に参拝することにしました。
抗ガン剤の副作用で髪の毛の三分の一が抜けてしまいましたが、帽子をかぶって通い続けました。
そして、静かに禅定しながら、あらためてこれまでのことを思い返してみると、家内のまったく違った面が見えてきたのです。
私は、うなぎ料理屋の前は、茶碗などを入れる木の化粧箱を作る木工所を経営していました。二十四歳で三百万円の借入をして起業し、家内とはそのころ、お見合い結婚で一緒になったのです。
目の回るような忙しさのなか、家内は組立作業から帳簿付けまで、よく働いてくれました。子供を身ごもってからも、出産のその日まで、工場に出て働いていたほどです。
やがて、化粧箱の需要が減ってきたため、私が三十七歳の時にうなぎ料理屋に転向。その時も、家内は文句一つ言わずについてきてくれたのです。
家事、育児、店の手伝いと、一人三役をこなしてきた働き者――。それが家内の本当の姿だったのです。
(今だって、家から病院まで片道一時間、毎日世話をしに来てくれる……。そんなあいつに、僕は感謝するどころか怒鳴り散らして、心ない言葉で、ずいぶんあいつを傷つけてしまった……)
横暴な自分にひたすら耐えてきた家内の気持ちを思うと、思いがけず涙が頬を伝いました。
ずっと支えられていた
近くに住む娘夫婦も二人の孫を連れて、病院に来てくれました。「おじいちゃん、早く元気になってね!」と、無邪気に笑う孫たち。私も自然と笑顔がこぼれます。
(自分が家族を支えていると思っていたけど、本当は支えられていたんだ……)
幸福の科学の支部の友人の皆様も、私の快復を願って、病気平癒のお祈りをしてくださいました。差し入れを持って病院にかけつけてくださった方、何度もお見舞いに来てくださった方、家内を励ましてくださった方……。
どれだけ多くの方の愛に支えられて、今の自分があるのか、皆様のご厚意を思うと胸が熱くなりました。
ただ、ありがたい――
そうして入院生活も二週間ほど過ぎたころ。朝晩、仏に祈りを捧げている時などに、胸の奥深くから、何ともいえないしみじみとした感覚がこみ上げてくるようになりました。ただ、「ありがたい――」と。
吐く息、吸う息があること。今日も太陽が昇ること。支えてくれる家族や友人がいること。医師や看護師さんがいてくださること。病気を治す薬があること。その薬の元となる草木、大自然が存在すること――。
実は、私の母は、私が中学生の時に病気で亡くなりました。当時住んでいた村には、病院もなければ医師もおらず、十分な処置ができなかったのです。しかし、今は当然のように治療を受けられます。
(辛い治療も、受けられるだけありがたい。当たり前だと思っていたことも、決して当たり前ではない。すべては、「与えられている」ものなんだ……)
自分を取り巻くすべてのもの、万象万物が光り輝いて見えました。
そして、それらすべてのものを育んでおられる仏の圧倒的な力、仏の偉大さというものが胸に迫ってきたのです。
(僕は「生かされている」んだ――)
仏にすべてお任せしよう
ある週末。幸福の科学の支部に参拝する機会があり、私は、「病気平癒祈願」を受けさせていただきました。
礼拝室に入り、導師が経文を読み始めると、安らいだ光が自分のなかに染み入ってくるのを感じました。
(ああ、温かいなぁ……)。すべてを受け止め、癒し、許してくださっているような仏の慈悲の光――。それは、今まで感じたことのない、絶対的な安心感でした。
(もう、生きるも死ぬも、すべて仏にお任せしよう――)
奇跡を感じて
やがて、三月も下旬に入り、二クール目の治療を始めるに当たって、経過を見るための検査を受けることになりました。すると――。
なんと、五センチもあった肺の影がきれいに消えていたのです。血液検査でも、ガンを示す値は、健康な人の平均以下になっていました。
医師は、「抗ガン剤の効果で一時的に消えているだけでしょう」と半信半疑で、しばらく通院することになりましたが、私は、(奇跡をいただいた!)と直感しました。
感謝の報告をと、支部に参拝しました。礼拝室に入ると、とたんに、こらえ切れず熱い涙があふれました。
(主エル・カンターレよ、こんな未熟な私を救ってくださり、本当にありがとうございます――)
お返しの人生を
あれから六年の歳月が流れましたが、ありがたいことにガンが再発することもなく、店の経営のほうも安定しています。
家内に対しては、まだ不満が出ることもありますが、「私自身の性格にも原因がある」と、自分自身の問題としてとらえられるようになってきました。
ガンにならなければ、自分の心の間違いを正すこともなく、周りの人を傷つけながら、一生を過ごしていたかもしれない――。
そう思うと、生死にかかわるような病気をしたことも、「ありがたい経験をさせていただいたなぁ」と心から思えるのです。
その感謝の思いを形にしたいと、店の一部を、地域の方が気軽に集える、幸福の科学の布教所にさせていただきました。
心の修行は、まだまだ未熟ではありますが、多くの方に支えられ、仏に救っていただいた命です。「生かされたからには、お返しの人生を歩みたい」、今、そのように思っています。
奥様からメッセージ
「主人のガンが分かった時は、本当にショックでした。体重が10kg落ちて弱った主人の姿を目の当たりにして、私自身、妻として至らなかった、心労をかけてしまったと反省しました。私も主人に負けず劣らず頑固で、『ああ言えばこう言う』みたいなところがありましたから。主人に注意された時に、『はい』と言って直せる素直さが足りなかったんですね。主人の病気を通して、私自身も学ばせていただきました」
――月刊「ザ・伝道」第158号より
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